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文化財と社宝

建造物


十三重塔
室町時代(重要文化財 )
父・藤原鎌足の追福のために、長男・定慧と次男・不比等に よって西暦678年に建立されました。 現存の塔は、享禄5年 (1532)の再建で、木造十三重塔としては、世界唯一のものです。
唐の清涼山宝池院の塔 を模して建てられたと伝えられています。 高さは約17メー トルあり、屋根は伝統的な檜皮葺きです。 神仏混淆時代の名残であると同時に、談山神社のシンボル的な存在です。



談山神社本殿
江戸時代(重要文化財 )
藤原鎌足公をお祀りする本殿は、もと聖霊院、大織冠社、多武峰社とも称し、 三間社隅木入春日造のけんらん豪華な様式で知られています。 社殿全体は極彩色 模様や、花鳥などの彫刻によって装飾されています。
大宝元年(701)の創建 で、現存は嘉永3年(1850)に建て替えられたものです。 日光東照宮造営の際のお手本となったことでも有名です。


絵巻・扁額

談合の図
多武峯縁起絵巻
江戸時代/住吉如慶・具慶合筆
『多武峯縁起絵巻』は、藤原鎌足公の誕生にはじまります。 長じて中大兄皇子(のちの天智天皇)にまみえ、 当時の最高権力者・蘇我入鹿を倒して、大化改新の偉業を成し遂げたのち、 鎌足公の没後、長男の定慧が多武峯(とうのみね)に十三重塔を建立、 やがて霊廟(現在の談山神社本殿)にまつられ、藤原氏一族が繁栄するという、 談山神社の縁起を描いたものです。
「談合の図」は藤原鎌足公が中大兄皇子とともに多武峯山中 (のちに談山と呼ばれ社号の起こりとなった)で大化改新の談合をしている様子です。 向かって一番右が中大兄皇子、次が鎌足公です。

蘇我入鹿暗殺の図
「蘇我入鹿暗殺の図」は、日本史の教科書でもおなじみであり、 大化改新のクライマックスともいえる板蓋宮(いたぶきのみや)における暗殺の場面です。 太刀を振り上げているのが中大兄皇子、弓を手にしているのが鎌足公です。

「多武峯縁起絵巻」と「増賀上人行業記絵巻」のすべてをご覧になりたい方は→ 奈良女子大学附属図書館

三十六歌仙扁額
安土桃山時代/狩野重信筆・青蓮院尊純法親王書
藤原高光 /小野小町


神像・仏像・狛犬

高103.4p
鎌足公御神像
江戸時代初期
もともと飛鳥の藤原寺でお祀りされていました。 明治の廃仏毀釈の際、藤原寺が廃寺になると同時に、談山神社の総社本殿に移座されました。
尚、現在、談山神社本殿にお祀りされている鎌足公御神像ではありません。、

高33.8p
勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)
江戸時代中期
戦乱の中世に突然現れた軍神(いくさがみ)であり、 藤原鎌足公の化身だといわれています。 額に第3の眼を持つ異相にして、貴族の装束の上から甲冑をまとった姿は極めて特殊です。 現在は勝負の神、勝運のとして信仰されています。

高48,2cm
秘仏・如意輪観世音菩薩
鎌倉時代
この仏像には「譚峰如意輪観世音菩薩記」という江戸時代の本に霊験譚が三つ 記されています。

その一、九條兼実が夢の中にこの仏像を見て、出世を祈ったところ後に太政大臣にまでのぼりつめた。
その二、脚に膿がたまり歩けなかった子供が、仏像に祈るとたちどころに治り、仏像の同じ箇所がえぐれていた。
その三、仏像を安置していたお堂が火災に遭ったとき、自分でお堂から出てきた。

談山神社にのこる唯一の仏像です。観音講まつりの期間中(6〜7月)のみ一般公開いたします。

高65cm
龍神像
室町時代
もともと末社のひとつである龍神社に祀られていました。 多武峰は古代においては水の信仰があり、印度や中国の龍神信仰と結びつきました。
黒色の肌と、彫りの深い顔立ちは像の作者が、 印度の八大竜王に模して作ったからだろうと言われています。


木造狛犬
鎌倉時代/伝・運慶作
玉眼彩色


木造狛犬
江戸時代
玉眼彩色。現在の本殿をお護りしています。


石造狛犬
江戸時代
重文・比叡神社附属。


美術工芸品

口径6.0p 高26.0p 底径10.5p
青白磁唐子蓮花唐草文瓶
中国、江南の景徳鎮窯で焼かれた青白磁の瓶。 身は細長く、口造りは小さく、肩 は撫肩で、裾はすぼまり、梅瓶(めいびん)と呼ばれています。
同じものは世界で数点しか確認さ れておらず、たいへん希少価値の ある逸品です。

幅39p 奥行9p 高6.5p
流水に菊石畳蒔絵筥
室町時代
寛正六年(1465)11月6日、藤原氏一門の中御門宣胤が勅使として神前に捧げた、 祭文を納めた文箱。流水と菊を描き、三つ巴の紋を散らす。
一方では、金と黒漆が交互になるシンプルな石畳紋様。幾何学的かつ絵画的なデザインが特徴。


古文書・能面

織田信長黒印状
安土桃山時代(奈良県指定文化財)《談山神社文書》
天正8年(1580)頃か信長の京都上洛の際に、多武峰から縮緬(ちりめん)を 贈られた礼状。 本文中の「筒井」とは、当時信長の配下にあった筒井順慶のことで、大和郡山城を築いた武将。
なお、ここに押された信長独自の馬蹄型の黒印は、「天下布武」と刻す印文をもち、著名です。 繊細かつ力強い筆力は、信長の人となりをよくあらわしています。

多武峯大織冠尊像御破裂目録
江戸時代(奈良県指定文化財)《談山神社文書》
大織冠尊像(たいしょくかんそんぞう)とは藤原鎌足公御神像のことです。 天下に異変が生じる時には、御破裂山が鳴動し、 この御神像が破裂(亀裂が入る)ことで知られていました。
慶長12年(1607)の破裂の際、後陽成天皇の要望により、 広橋兼勝がこれまでのこれまでの御破裂記録を編纂したものです。


延命冠者
桃山時代
江戸時代以降、途絶えてしまったとされる、多武峰猿楽の往時を偲ばせる古面のひとつ。 延命冠者は翁系の面のひとつであるが、現行の〈翁〉では使用されない。 古式を伝える多武峰ならではの特徴である。

翁(摩陀羅神)
桃山時代
通常の翁面よりも大振りで、頬の肉付きは ふくよかに盛り上げられ、寿福を言祝ぐ表情に満ちている。 談山神社に伝わる翁面三面の内、この面のみ特別に面箱を誂え、 箱書には「摩陀羅神面箱」と墨書する。この面には伝承がある。 摩陀羅神を祀る常行堂で演じられた後、衆徒が酒に酔うとその酔いにつれて、 本尊の翁面も自然と赤く染まるというのである。


若い女
桃山時代
伏し目がちな切れ長の目、鼻筋や小鼻が強調されない穏やかな鼻の表情、 半ば開かれた口元には柔らかな笑みを湛え、清楚な雰囲気を醸し出す。 顔の表面は神聖なほどに白く、髪も黒々とつややかで若々しい。


歴史的遺物




高35,2 直径76,4cm 粟原寺三重塔伏鉢 飛鳥時代(国宝)

伏鉢(ふくばち)とは、塔の相輪の一部です。 伏鉢の表面に彫られた銘文によると、 粟原寺(おうばらでら)は藤原鎌足公の従兄弟にあたる中臣連許米の子、大嶋が、 持統天皇3年(689)草壁皇子の菩提を弔うために造営を発願しました。
4年後に大嶋は没しましたが、遺志を継いだ比売朝臣額田によって、造営工事は進められました。 現在は奈良国立博物館に寄託しており、平素は神社での展示はしていません。


談山神社刀剣目録

名称・法量・時代・製作国の順